その木に対する気持ちもあるのです
高木・巨木の伐採は心が弾む一方で何処か
対称木に対して申し訳無いという気持ちが、未だに消えない
ま、木を伐るうちは消えないだろうけれど
木を切る訳はそれぞれにあるのだけれど、100年と
その場の風景を見続けてきた、大先輩を随分後輩の
僕が引導を渡してしまう事に対して、それなりの値段を
付けてあげる事も、必要だと思っている。
単純に1年 1万 100年生きた気ならば100万円は払って
やりたい”木に対してですが” 気持ちはですが・・・
勿論、御施主様は安ければ嬉しいのだろうが、100年生きた大きな木を
伐るのに、俺(木)は、こんなに安く伐られるのか?
と思われたくない気持ちがある。
100年たって魂が宿る木霊の供養でもあるんだ
”そうだろ~俺を切るからには、そう簡単には伐れないんだよ”
な~んて 言っているいるように思う。
山の天然林なんて伐っているときは、皆 山の衆はそう思っているだろう
300年もたった天然ヒノキを、何本も伐ると段々麻痺してくるけど、思うんだ。
それが、街中だとしたら もう数百年たった木は神様みたいなもんだ。
伐らずに生かしておけるのならばそのままで良い